FRJが担う「日本と世界の橋渡し」

VOL.263 / 264

有松 義紀 ARIMATSU Yoshinori

株式会社童夢 カスタマー・サポート担当。
1990年代から国内外のレース界に携わり、高木虎之介のマネージャーとしてF1に進出。1999年のホンダF1参戦プロジェクトに携わった後、高木とともにアメリカのCART、INDYに挑戦するが、2005年からはトヨタの若手育成プログラム「TDP」関連で、ドイツのTMG(現TGRE)でヨーロッパにおける若手ドライバーやチームとの法務関連業務を担当。中嶋一貴と小林可夢偉をF1にデビューさせ、トヨタがF1から撤退してTMGとの契約が解消されてからも、2012年まで可夢偉のマネージャーを務めた。童夢に入ったのは帰国後。現在はFRJのカスタマー・サポート担当を務めている。

今年8月から国内でもスタートしたFR(フォーミュラ・リージョナル)シリーズは単なるミドルカテゴリーの置換ではなく日本と世界の差を埋めるための施策も盛り込まれ将来の日本のモータースポーツを担う新カテゴリーと言っても過言ではない
国内シリーズ立ち上げの折衝を務めてきた童夢の有松義紀さんに話を聞かせてもらった

FRJが担う「日本と世界の橋渡し」---[その1]

(エンケイニュース2020年11月号に掲載)

左がFRJの車両「F111/3」のプロトタイプ、右がFIA-F4マシン「F110」。F111/3の方が、全長は約650㎜、全幅は約100㎜大きいサイズだ。車両重量はF111/3の方が60kg重く670kg。

※FRJ:FORMULA REGIONAL JAPANESE CHAMPIONSHIPの略称

 FIA-F4という規格の車両をずっとやっていた関係上、童夢はFIAシングルシーター技術部会に入っていました。そのミーティングで突然、新しいフォーミュラを作る案が出てきたんです。主に安全規定を刷新した車両で、今でいうところのFIA-F3とFIA-F4の間に位置するカテゴリーです。当時からFIAはすでに排気量でカテゴリーを区別する考え方を廃止し始め、パワーウエイトレシオでF1からFIA-F4までを区切っていく考え方を打ち出していました。F1、F2、FIA-F3、そしてこの新しい規格、FIA-F4というピラミッド。ミーティングで話が出たのは、その新しいフォーミュラのピラミッドに5年ないし、7年かけて移行していくというものでした。
 要は当時のF3の置換化を目指していたのです。ところがFIAが掲げるパワーウエイトレシオを達成しようと思うと、既存のF3のエンジンパワーではぜんぜん足りません。結局はターボエンジン搭載しかないのですが、ターボを搭載したらF3ではなくなってしまうという議論が起こりました。ですので、ターボを搭載するという結論に至るまで、議論は紛糾し、相当な時間を必要としました。あのミーティングは確か2017年10月だったと思います。
 新規格の車両はハロ(頭部保護装置)、サイドインパクトストラクチャー、フロントイントリュージョンパネルなど、2018年のFIAが設定する安全規定を満たすことが大前提にありました。我々は2018規定と呼んでいます。最終的に童夢が手がける第2世代のFIA-F4(童夢F111/4)も2018規定をクリアするもの、つまり共用することになったので、童夢としても最終的にはFIAの趣旨に賛同して新規格の車両開発をスタートさせました。(後に2021規格が持ち上がり、共用はなくなりましたが。)

童夢F111/3には、エンケイ製アルミ鍛造レーシングホイール(FA030)が採用されている。
ホイールサイズは、フロント用13"x10J、リア用13"x12J。

童夢F111/3誕生

 シリーズ名称はFR(FORMULA REGIONAL)。他のマニュファクチャーであるタトゥース、ミゲル、リジェ、ダラーラ、アートラインとは、月1回の頻度でミーティングを重ねて、2018年3月にFRの国際的なテクニカルレギュレーションが決まり、早いところは2018年7月に開幕しました。日本は根回しが大変なので時間がかかりましたが、開催に向けて動き出したのが2018年2月で、そこから情報収集をしたり、技術検証を重ねて、2019年1月にようやくプロファイルが完成。同年3月に暫定的な車体が完成して、製造を開始できる図面ができあがったのが同年6月、プロトタイプの車両が完成したのが8月末でした。車両名は「童夢F111/3」。それと並行して、選手権を立ち上げる準備を進めていきました。
 これらの動きの中で私が担当したのは、主に海外サプライヤーとFIAとの折衝役です。日本の選手権がスタートするとして、他の開催国との立ち位置はどうするのか?もちろんスーパーライセンスポイント要項批准が必要になるので折衝することはたくさんありました。

安堵の開幕戦

 今年の開幕前までに16台をデリバリーして、つい最近追加で2台デリバリーしたところです。国内で走れる車は、現状18台存在することになります。2021年に向けても結構な数が出る予想です。昨年の冬も充分に忙しかったのですが、今年の冬もまた忙しくなりそうですね(笑)。
 今年のデリバリーにおいては、新型コロナウイルスの影響が大きかったです。とくに物流問題は深刻でした。シャーシこそ日本製ですが、エンジンはイタリア、ギアボックスはフランス製ということもあり、主にイタリア、フランス、そしてイギリスからのパーツ輸入が滞ってしまったのです。、物はあるけれど出せないという状況ですね。ロックダウンで出社できずに出庫できない、地上運送も便が大幅に減っていて、そもそも飛行機が飛んでいない。何とかパーツを集結して車両を完成させても、デリバリーしてからレース開幕までの時間が短く、そこでのトラブルシューティングも対応が大変でした。プロトタイプで車の不具合を修正しきっていたつもりでも、こまごましたところがどうしても出てきてしまうんですね。
 そういうのもあって、今年8月の開幕戦(富士スピードウェイ)に13台が並んだ時は、安堵しかなかったです。車がストップするような深刻なトラブルが出なかったのも良かったです。開幕戦からここまで、クラッシュでリタイアする車両はあっても、トラブルでストップする車両は、今のところ出ていません。会社としては、それが何よりうれしいことです。

F111/3のロールアウト時の様子。新車両のトラブルシューティングは限られた時間の中、急ピッチで進められた。

FR(フォーミュラ・リージョナル)シリーズはこれまでのフォーミュラとはまったく違う
その設計思想は、日本人ドライバーにとってはF1で活躍する突破口にもなり得るものだ
F111/3開発に込められた童夢の「思い」を有松義紀さんに語ってもらった──

FRJが担う「日本と世界の橋渡し」---[その2]

(エンケイニュース2020年12月号に掲載)

 FRJ(FORMULA REGIONAL JAPAN)で使用するために童夢が開発したF111/3は、日本人ドライバーにも、日本のレース産業にも合ったデザインに仕上がっています。160〜190cmの、いわゆる日本人体型の男性や女性、還暦近くのドライバーまでがすっぽり収まり、ドライビングに支障が出ない──そんなクルマ作りを心がけました。今季を振り返ってみると、ドライバー全員がレース中のベストラップを終盤に記録しています。つまり、運転への集中が最後まで続き、燃料が減るにつれてタイムが上がっているのです。車重はFIA-F4より重く、タイヤ径は太い。なおかつパワステを搭載していないのに、FIA-F4よりステアリングが軽いと評判です。それは童夢が童夢たる所以で、ジオメトリー解析がうまく機能したのでしょう。
 もうひとつこだわった点が制御系です。FIA-F4と同じにすれば、国内では楽にステップアップできますが、あえて欧州で主流なものに合わせました。FRJから欧州のFRシリーズに参戦する際、制御系の違いによる「つまずき」をなくしたかったからです。欧州では日本で覚えたこと、習得したことすべてをやり直さなければいけません。向こうのソフトウェア、やり方について慣れていくことが大きな試練なのです。そうした事情を知らない人が多く、「結果が出ない=素質がない」と判断されたドライバーは少なくありません。また日本人を含むアジア人のDNAは草食系。欧米人より腸が2〜3m長く、それを収めるため骨盤も幅広い体格です。欧州のマシンはアジア人に合わず、今のハロ(安全のためドライバーを覆う柵)付きの車に乗っても、自分が求めるドライビングポジションを得られません。高木虎之介選手も、小林可夢偉選手も、中嶋一貴選手も、そこに苦しんでいました。
 F111/3の仕様を欧州に合わせたのは、そうした日本人ドライバーたちのつまずきを軽減するためです。制御系はヨーロッパシリーズで使用されているタトゥース・アルファロメオとまったく同じ。スタート操作、シフトチェンジ、クラッチコントロールなど、ほぼ違和感なく乗り換えられます。欧州でのつまずきで日本の若い才能がつぶされないよう、童夢はF111/3を作ったのです。それがFRJのコンセプトのひとつでもあります。他にも、同じソフトウェアを使うことで欧州で活躍できるデータエンジニアを育成していくこともできることから、FRJは海外に広く門扉を開いたカテゴリーと言えます。

2000年代初頭は、高木虎之介選手のアメリカトップフォーミュラ挑戦に帯同していた。

日本人ドライバーで表彰台も獲得した小林可夢偉選手のマネジメントは、トヨタからザウバー移籍後も続けていた。

30年の経験を活かす

 私自身は、実はラリーからこの世界に入った身です。1984年、とある九州の大学に行っていた時に、生協の本屋でサファリラリーが表紙の本を見つけました。TTE(トヨタチーム・ヨーロッパ)のセリカグループBターボのマシンで、とにかく格好良くて、この世界に行くしかないと感じ、翌年にはサファリに写真を撮りに行っていました。ホンモノを見たかったのと、その世界の中にいたかったからです。
 その後、国内のF3に携わり、2000〜2004年はアメリカのチャンプカーとインディカーに挑戦した高木選手のプロジェクトに参加しました。そして2004年末からは、トヨタのF1参戦プロジェクトでTMGの社員になり、フランスのレーシングチームであるダムスとジュニアドライバー育成プログラムを立ち上げて、一貴選手と可夢偉選手の欧州挑戦をサポートしました。トヨタがF1から撤退した後は、ザウバーで走る可夢偉選手のマネジメントを担当していました。
 彼がザウバーを離れるタイミングで帰国すると、童夢さんから連絡がありました。色々話を聞きたいと言われるまま米原に行くと、いきなり会議室で「いつから仕事ができるの?」と言われました(笑)。国内レースでは童夢とはライバル関係。一緒に仕事をしたことはありませんでしたが、FIA-F4の立ち上げの年で、自分を必要としてくれていたのがキャリアの中では大きなマイルストーンですね。
 年齢も年齢なので、派手なことはやれません(笑)。ただ、業界に30年いて、その半分以上は海外でレースをやってきた経験と知識はあるので、使い道があると思った人に私を活用してもらえればいいなと考えています。今後、FRJが海外への良い架け橋になっていけば個人的にも嬉しいですし、日本のモータースポーツを欧米に近づけさせる意味で、童夢としてもこのF111/3は意義ある一歩を踏んだシャーシになるでしょう。

FRJの車両に装着されているエンケイ製ホイール。レースの世界で培ってきたエンケイの信頼性も、世界の架け橋を後押しする。

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